年桓9主日2023
皆さん、今日の福音は私たちの主イエスでさえ批判(ひはん)や勝手(かって)な決(き)め付(つ)けから免(まぬがれ)れられなかったことを思い出させてくれます。私たち皆、同じような ことをしてしまうのですが、何(なに)ごとにつけ、何か悪(わる)い所(ところ)を見(み)つけ、人の言うこと、やることに対し、口を出したがる人がいます。日々の生活の中で、わたしたちは常(つね)にさまざまな人に出(で)会うのですが、そうした人々の中には、良い刺激(しげき)を与(あた)えてくれる人もいれば、人を傷つけたり挑発(ちょうはつ)したりしようとする人もいます。でも、どのような試合(しあい)においても、まわりの観客(かんきゃく)が大(おお)騒(さわ)ぎをしている間も、当(とう)の選手(せんしゅ)たちはずっとプレーを続けていることを忘れないでください。同じように、イエスに従うとき、わたしたちは、まわりの騒音(そうおん)に気を散(ち)らされては なりません。
現代の世界に広がっている ある種(しゅ)の汚染(おせん)があるのだと、言い表(あらわ)した人がいます。 それは、言葉による汚染(おせん)と呼ばれるものです。確かにそうですね。この汚染を広げているのは誰でしょうか?常に批判的(ひはんてき)で、不平(ふへい)や悪口(わるくち)ばかり言っている、否定的(ひていてき)な人たちです。福音にあるファリサイ派やサドカイ派のように、彼らの心は汚染されており、彼らの周りの人々を汚染しています。イエスが言われたことや、行動したことに対し、否定的(ひていてき)な態度(たいど)をとってしまうため、彼らはイエスを真の神の子と気づくことができないのです。
自分の人生を否定的(ひていてき)に、また絶望的(ぜつぼうてき)にばかり見ているならば、私たちは真のクリスチャンとは言えません。ですから皆さん、まず自分自身から始めることで、言葉による汚染を食(く)い止(と)めましょう。互(たが)いを励(はげ)まし、啓発(けいはつ)し、良(よ)い刺激(しげき)になる言葉(ことば)を使(つか)いましょう。
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