今日の福音のたとえ話では、王の宴会に招待(しょうたい)された4(4)種類(しゅるい)の人々(ひとびと)が登場(とうじょう)します。この4種類の人々は、それぞれ異なる理由で宴会に出席しませんでした。 ここにいる私たち全員が、主イエスによって永遠の晩餐(ばんさん)に招かれています。 私たちがこれら4種類の いずれのようでもないと願っています。
最初のグループは単に招待を拒否(きょひ)しました。彼らは宴会に招かれましたが、明らかに行きたくありませんでした。 なぜ拒否したのか分かりますか?
彼らは罪の生活を楽しんでいたので、拒否したのです。このグループの人々は、自分たちの生活を変えたくないから、すぐに招待を拒否しました。
第二のグループは、招待を無視(むし)した人(ひと)たちです。彼らにとって神は二(に)の次(つぎ)なので、彼らは招待を無視しました。 精神的(せいしんてき)な成長(せいちょう)は、この人々にとって優先事項(ゆうせんじこう)ではありません。彼らは、神様との関係(かんけい)よりも、現実的な物事(ものごと)に関心(かんしん)があります。たとえ話に「一人は畑に、一人は商売(しょうばい)に出かけ」と書かれています。忙しくて毎週日曜日に主日の御ミサにあずかることができないと言う人は多いですが、その人々がこのグループに属(ぞく)していると思います。
第3のグループは、教会とその教えを攻撃(こうげき)する人たちです。 彼らが回心するよう、わたしたちは祈らなければ なりません。
そして、最後のグループは、ドアに入ることができた男性によって象徴(しょうちょう)されています。これは一番悲惨(ひさん)なケースです。なぜかと言いますと、彼は宴会に参加することができましたが、長くはいられなかったからです。彼は とどまることを許されませんでした。 なぜ彼はとどまることを許されなかったのでしょう? 彼は何を間違ったのでしょう?
答えは非常に簡単ですよ。 彼は白(しろ)い衣服(いふく)を着(き)ていませんでした。では現代(げんだい)の 私たちにとって これは何を意味するのでしょうか? それは、神の恵みにふさわしくある ことを意味します。 そうです、私たちは洗礼を通して ふさわしい者になりました。それが洗礼を受けるときに白(しろ)い服(ふく)を着(き)た理由(りゆう)です。 しかし、それは永久的(えいきゅうてき)なものではありません。わたしたちは人間ですから、罪を犯してしまいますし、常(つね)にふさわしい者(もの)であるわけではありません。
つまり、白い衣服の別の意味は、悔い改めです。私たちは、告(こっ)解(かい)によって罪を悔い改めなければなりません。私たちは正しい気質(きしつ)の人間にならないと、神の永遠の宴会に長く留まることができません。ですから、私たちの罪を神様に告白しましょう。
神様、わたしたちが罪を悔い改めるようお助け下さい。少数(しょうすう)の選(えら)ばれた者となれますように。
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